父親はアソビを知ってなければならない

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父親はアソビを知ってなければならない

男の子は父親に憧れる時期がある。

ぼくはそう思っている。中学校に入るとたいていの子は見事に反抗期に突入する。大人への階段を登っているわけだ。自分の言っていること、やっていることが正しかろうが、間違っていようが関係ない。親の言うことが気にくわないのだ。

中学生の反抗期に突入する前、小学校の高学年あたり、一時期、男の子は父親に憧れる時期がある。以前の記事でそう書いたことがあり、へぇそうなんだ、という反応をいただいたが、長男も次男もそうだったから間違いない。

三男、小学校6年生が、今まさにそんな時期。少し反抗期に突入しかかっていて、勉強のことや部屋の片付けのことを注意すると反抗的な態度を示すこともあるが、基本的にパパ大好き。

パパ、次の休みはどこに行く?

ただ単に本屋へ行ったり、スーパーへ晩ごはんの材料を買いに行ったり、ごくたまにラーメンを食べに行ったりするだけなんだけど、「あー楽しかった」と言ってくれる。

何も特別なことをしているわけではない。普通に一緒に生活しているだけだ。

父親が男の子に伝授するアソビ

男の子はアソビの引き出しをたくさん持っていなければならない。虫取り、カエル釣り、ザリガニ釣り、野山の探険。お母さんが聞いたら悲鳴を上げそうなことも、男の子は経験しておかなければならない。男の子というものはそういうものなのだ。

男の子のアソビの中でも、ぼくは釣りが好きなので、今シーズンは徹底して三男に釣りを伝授しておこうと思っている。

釣りは奥が深い。それはお金をかければ多くの魚が釣れるという意味ではなく、船に乗って鯛やマグロを釣りに行くという意味でもなく。

釣りは、最後には必ず命をいただくということ。釣った魚は死んでしまう。魚とて我々人間に釣られるために生まれてきたわけではなく、次の時代に命をつなぐために生まれてきた。その命をいただくのだ。

釣った魚は必ず美味しくいただく。(フグなどの毒魚は除く)釣った魚を食べるために釣りに行く。まずそのことを教えたい。総論はそういうこと。釣りに対する心構えみたいなもの。アソビとはいえ、命をいただくのだという覚悟。

あとは各論。魚釣りの準備、用具の使い方、魚の釣り方、後片付け。

魚の釣り方ひとつとってみても、大切なことはいろいろある。ぼくがこだわっているのは「アジを釣る」ということ。

波止場から糸を垂らせば、サバ、イワシなども釣れる。当然同じ海に泳いでいるから針にかかることもある。

しかし、ここは「アジを釣る」ということにこだわりたい。

同じ15センチのアジとサバなら、アジの方が格段に美味い。同じ命をいただくなら、美味しくいただけるものを釣りたい。

どうすればアジが釣れるのか、どうすればサバやイワシを釣らずにすむのか?そういうことはアジ釣りを経験して思考錯誤してきた父親でないとわからない。

アソビを極めるためには父親もアソビの達人でなければならないのだ。

アソビには反省も必要

反省、と言っても、別にかしこまって反省会をするわけではない。晩ごはんの時に必ずその日1日がどうだったかを親子で振り返るのだ。

たくさん釣れたのか、あまり釣れなかったのか?何時くらいに釣れたのか?針の大きさはどうだったのか?海の底からどれくらいのところでたくさん釣れたのか?

そういうことを晩ごはんの時に話をしながら、次回につなげる。アソビとて、PDCAサイクルをまわすのだ。

そういう経験は、アソビの時だけではなく、これから大人になっていく過程で必ず役に立つ。勉強はもちろん、大学での研究や社会人になってからの仕事。

仕事も、我々男の子にとってみれば、ある意味「アソビ」だから。

この記事を書いた人

余分なこだわりは捨てる。それがぼくのスタイル。

PHPでWebアプリを作り、小さな花の写真を撮ってよろこんでいる人。元Webエンジニア。プログラミング講師。余分なこだわりを捨てて生きやすくなりたいと思いつつも、なかなかこだわりを捨てきれない頑固者。まろと呼んでください。

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